【戦場に吹く風】 - 第二章 -
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 イワキとウィンディが作戦のための資材を集めている六日間、要請通り、援軍も食料や装備も届いていた。予定以上に集まっていて、その把握に手間取る位であった。それだけ政府が本腰を入れていることの証左でもあった。

 制海権が完全に帝国の手中にあったため、全ての輸送作戦は順調であった。

 しかしその頃、海軍部隊は蜂の巣を突いたように大騒ぎとなっていた。本国の寄港地が奇襲されたというのだ。損害は軽微であったが、勝利に酔っていた彼らの肝を冷やすには十分であった。

 彼らは、警戒用の艦隊も編成していたが、ちょうど天候不順となる秋であったため、悪天候に阻まれ敵艦隊を発見できなかった。その中で、警戒部隊は全滅させられていたのである。

 そのため、敵情報に接することのできない主力艦隊は焦っていた。その中へ、本国に王国軍一万が上陸したという情報が入った。情報は、敵上陸から三日も経ってから届いた。

 敵艦隊が近くにいると考えた司令官は、海軍艦艇の集結を命じた。この時にようやく、警戒部隊の全滅に気付いたのである。

 その半日後、敵上陸軍が撤退したという情報に接し、兵を回収した船団が付近を航行すると考え、決戦を挑むため、敵の発見に努めた。

 船団は、その日の夜半過ぎになって発見された。多くの輸送船を含んでいたので、司令官は護衛艦の殲滅を命じ、輸送船団を捕獲する気でいた。そこへ、輸送船が突っ込んできた。司令官は、衝突を回避するため、一旦輸送船団と逆走し、艦隊を輸送船団の背後に回そうとした。それが輸送船ならば、別に悪い判断ではなかった。

 ところが、それが敵海軍の罠だった。輸送船団は、逆走する帝国艦隊を上手く包囲した。直後、輸送船団は火に包まれた。油を満載した火炎船だったのである。包囲された主力艦隊は全艦火に包まれ全滅した。

 生き残った艦隊は、背後から現われた王国軍主力艦隊に壊滅させられた。

 帝国軍は制海権を喪失したのである。

 

 

「なあ……魔法使って山吹っ飛ばすとか、空から移動するとかってできねえのか?」

 イワキは、隣を進むウィンディに、そんなことを聞いていた。進撃四日目になるが、険しい山道を進むのはやはり容易ではなかった。ただ、全ての山が険しいわけではなく、丘のような所もあるし、山々の間には盆地もある。軍道も、軍隊の通行がどうにか出来る所よりは、幅二十メートルを越すような広い軍道が多い。イリリア王国が、通行の便を良くするため拡張工事でもしたのだろう。

「……魔法は何でもできるものじゃないわ」

 イワキは不思議そうな顔をしている。

「それじゃあ、弓兵と余り変わらねえじゃん。ま、弓兵と比べもんになんない位強いけど」

「……魔法にも制約はあるの」

 ウィンディは、一旦言葉を切り、空を見上げた。

「話すと長くなるけど……」

 ウィンディは、イワキに非常に簡単に説明をした。

 現在、人間が使用しているのは、火・水・風・土の四属性に属する魔法。それ以外にもあるかもしれないが、発見されていない。火と水、風と土はお互いの威力を相殺する。ウィンディ自身がよく使う雷撃系列の魔術は、風の属性に入る。 

 魔術を使えるようになるかは、魔術理論を習う必要もあるが、生れつきの才能も必要で、キャパシティ……この場では、その人物が持つ魔力、つまり、炎などを生み出す精神力の容量がなければ、いくら訓練しても魔術は使えず、これは努力でどうにかなるものではない。実際、それで魔術師になるのを諦める者も多い。

 キャパシティの大きさは、そのまま魔術の威力、使用回数に比例してくる。人間一人のキャパシティでは、威力にも相当制限があり、山一つを吹き飛ばすなどというのは不可能である。

 キャパシティの制限を補うのが、複数の魔術師が魔力を合一させる共同魔術だが、それも、魔術師間の相性か、それとも相互のキャパシティの問題かは不明だが、組合せによっては魔術を発動させられないという。

 空の移動は、殆ど不可能。飛ぼうとすると、できたとしても、あっという間に魔力が底を突いて、しばらく休養しないと魔術が使用できなくなる。ウィンディも試したことはあるが、十秒と保たなかったという。

 数百年も昔には、共同魔法で一都市を壊滅させる等ということも行なわれていたらしいが、その応酬は、各国の不利益にしかならず、占領した地域が焦土となっては意味もないので、国際的な条約で禁止されている。魔術により、要人を暗殺するのも同じだ。

 この条約は、数百年経っても履行され続けている。お互いに報復を恐れているからだ。

 魔術は、本人の精神状態にも深く関わってくる。術者の精神が何らかの要因で不安定だと、魔術も上手く発動しない。ウィンディのように女性であれば、月に一度、発動させづらい時もある。

 どうして魔術が発動するのか、それについての詳しいことは分かっていない。ただ、こうすればいいなどの理論はいつの頃からか伝わってきている。

「……というわけ」

 ウィンディが説明を終えると、イワキは驚いた面持ちでウィンディを見ていた。

「なんか……よく飲み込めねえけど、すげえというのは分かったよ。しかし、そんなよく分かってもいねえ代物をよく使えるよ」

「そうね、その点は我ながら恐ろしいわ」

 ウィンディはコクリと頷いた。

「使ってる人間に影響ってあんのか?」

「……さあ」

 ウィンディがそう言うと、イワキは意地の悪い笑みを浮かべ、

「普通の人間より、老けるのが早いとか」

 ウィンディは無表情のままイワキの方を向いた。そのままイワキと目を合わせ続ける。文句を言っているつもりなのかもしれない。表情一つ変えずに、ずっと目を合わせられるのは辛く、イワキが先に目を逸らした。その時である。

「っ痛!……」

 ウィンディは、偃月刀の底部で思いっきりイワキの足の甲を打ち付けた。そして、馬の歩を少し早くさせ、隊列のさらに前に出ていった。

 その時、僅かにイワキに聞こえるような小声で一言。

「馬鹿」

 

 首都への進撃開始から四日目の夜、帝国主力艦隊が壊滅した。

 そんなことは露知らず、イワキ・ウィンディ両軍団は順調に進撃を続けていた。途中、山岳地帯に潜んでいた王国軍に攻撃されたが、土塁がその攻撃をよく防いでいた。背後からの奇襲にも、援軍が土塁から出撃するため、大した犠牲も出していなかった。

 その日の夜に、土塁を築き終えた軍団は、その中で休息を取った。イワキ達は、決して無理な進撃はさせない。山越えは疲れるし、夜、道に不案内な軍団が、地の利を活かして敵に襲われてはたまらないからだ。

 イワキとウィンディは、その夜同じ幕舎で酒を酌み交わし、歓談に耽っていた。それぞれの幕舎はあるが、作戦の打ち合せに、ウィンディがイワキの幕舎へ来ていたのだ。

 ここまでに、三つの山を越えたが、その進撃は決して容易ではなく、軍団は相当疲れ切っていた。それは、二人も同様であった。

 作戦の打ち合せの後、酒を飲もうということになった。ウィンディは最初無言だったが、イワキが昼間の発言を謝ると、

『別に……気にしてないわ。まあ、私もやりすぎたし』と言って話しだした。やりすぎた、というのは偃月刀の底部で打ち付けたことだろう。

 二人共、相当疲れていることもあり、酒に強くないウィンディはもちろんのこと、酒に強いイワキもすぐに酔いが回りだし、酒が入らなくなった。

「ふう……やっぱ相当こたえてんな、これは」

「これ以上は入らないかしら?」

 イワキは笑いながら手を振った。

「ああ、もう飲めねえよ」

 そう応えた時、ウィンディがクスリと笑ったのをイワキは見逃さなかった。

「……おめえ、笑顔の方が似合ってるよ」

「そう? ありがと」

 ウィンディは頬杖をついて、にっこり微笑んだ。

「……酔ってるのかもね」

 イワキは少しの間沈黙していたが、

「なら……ずっと酔っててほしいよ。おめえのその顔見れるからな」

「……」

 ウィンディの顔は、酔いのため赤くなっていたが、その赤さは酔いのためだけだろうかと考えている事自体、イワキはウィンディに惚れていたのかもしれない。

「プロポーズかしら?」

「え?」

 イワキは言われたことが咄嗟に理解できず、混乱し、手にしていたグラスも落としてしまった。その様子が余りに面白かったのか、ウィンディは口元を手で覆い、笑い声を噛み殺している。目元には涙を滲ませていた。イワキは、ここまでウィンディが笑っているのを見たのは初めてであった。ウィンディ自身、物心ついてからここまで笑ったのは初めてであった。

「それもいいかもね。考えておくわ」

 ウィンディは、それまで人に見せたことのない極上の笑みを浮かべていた。ランプに照らし出されているその表情に、イワキは一瞬、飛び掛かりたくなる衝動を感じた。イワキは理性を働かせ、首を何度も振り、その衝動を追い出すのに努めた。

 その様子を見ていたウィンディは、思わず吹き出した。

「変なの」

 

 

 帝国近衛兵団五万は、その後も順調に兵を進めていた。七日目の時点で五箇所の山を越えていた。首都までの行程は半分になっていた。

 この時点で帝国軍が展開していた兵力は、イワキ達の近衛兵団が五万、彼らの進路に築かれた土塁の一つ一つの守備隊が約一千で、合計が約一万二千。補給部隊一千。その他守備隊一万弱である。海軍が壊滅したため、それ以上の増援は無かった。しかし、上陸部隊の誰一人、海軍の壊滅を考えるものはいなかった。嵐で動けないのだろうと位にしか考えなかった。

「あと半分だな」

「そうね」

 応えるウィンディの声は、やや疲れているように聞こえた。ただ山越えをしているのならばともかく、奇襲を掛けてくる敵軍を撃退しながらの行軍である。昼夜を問わない攻撃に、帝国軍は限界に近い程疲れ果てていた。行軍の速度も遅くなってきている。

「そろそろ、兵団に休養を取らせないと、敵が出てきた時に対処できないわ」

「そうだな。今夜、土塁を築いたら、そこで一日休養させよう」

 イワキはウィンディの横顔を盗み見た。普段通りに無表情だが、顔は青ざめ、汗の玉がびっしりと浮かんでいる。その右頬には真新しい傷跡がついていた。昨夜、敵の長刀で薙がれた跡である。

 

 

 その夜戦は、完全な奇襲となり、かなりの激戦になった。 

 六日目の夕方、五つ目の山を越えたので、そこに土塁を築いて夜を過ごすことになった。

 後方から一千の兵が、木材や土嚢等の建設資材を運んできて、さっそく建設作業が始まった。近衛兵団も建設を手伝ったのは言うまでもない。

 日が完全に落ちた頃、風が強くなりだし、雨も降りだした。イワキとウィンディは一部の兵を連れて、山の麓の盆地にまで進出した。警戒のためである。進出したとはいっても、ほんの一キロ程度であるが。

「おい、雨が強くなってきたぞ」

 イワキは、傍らを進むウィンディにそう言った。イワキはいつもの長槍ではなく、乱戦になった時に使用する一メートル強の槍を装備している。

「そうね。しかし……」

 ウィンディは辺りを見回した。盆地は軍道以外は森林地帯であった。どこにでも敵がいそうな気にさせられる。

「……」

 ウィンディは肘でイワキを突いた。

「何だ?」

 ウィンディは馬上でうまくイワキの方に身を乗り出した。 

「……何かいる気がするんだけど」

 雨がさらに強くなりだす。イワキはよく聞こえなかったらしく、身を乗り出していたウィンディの方へ、耳を近付けた。ウィンディは手で口の回りを囲い、声がよく聞こえるようにする。

「だから、何かいる気がするの」

「まあ、森林に伏兵するなんて誰でも考えるよな」

 イワキは、左右の森林に視線を向けた。

「いる気がする……というより、確信に近いんだけど」

「……って言ってもなあ」

 いくら目を凝らしても、敵らしい姿は映らない。気配を探ろうにも、雨音が大きくて分からない。

「引き返そうよ」

「まだ土塁は完成してないと思うぞ」

「嫌な予感がするの」

「と言ってもなあ」

 警戒に来た部隊が、嫌な予感がするから帰ってきました。では軍人として話にもならない。イワキは腕組みして思案顔になった。

「引き返そう」

「うーん……」

 ウィンディが再度言うが、イワキは素直に頷けなかった。別に会敵したわけではないのだから。

「……って、おい!」

 ウィンディは両手で、イワキの左腕を引っ張った。イワキが抗議の声を上げるが、手を離そうとはしない。

「引き返そうよ!」

 ウィンディはかなり強い口調で三たび言った。普段、感情を露にしないだけに、イワキは驚いた感じと共に、新鮮な感じも覚えた。

 イワキには、その表情が、だだをこねる子どものように映ったが、それを言ってもウィンディは否定しただろう。

「ねえ!」

「分かった。引き返すか」

 ウィンディが再び強い口調で何か言いだす前に、イワキはウィンディの提案を承諾した。ウィンディは一瞬だけきょとんとしていたが、すぐに無表情に戻って、急いで手を解いた。

 ウィンディはイワキから目線を逸らしていた。なんとなく赤くなっているように見えるのは気のせいかと、イワキは思った。

「お前も、強い口調になる時あるんだ」

「別に……私だって感情は持ってるの」

 イワキは馬を返して、元来た道を引き返し始めた。ウィンディは無言で付いてくる。

 その引き始めた時だった。

 各所で兵が突然倒れた。主人を失った馬がそこに残される。

「何だ?」

 次の瞬間、イワキは右の森を向いて槍を回した。何かの感触が伝わってくる。

「矢だ!」

 イワキは、矢が飛んできていることに気付いた。雨の音で、矢の飛来音が掻き消されていたのだ。暗くてどこから飛んできてるのかも把握しきれない。

「……くっ」

 ウィンディに向かって、数本の矢が飛来する。なんとか凌いではいたが、これでは解決にならない。敵がどこにいるか把握できなければ、魔術を使っても無駄になりかねない。連戦で疲れていることもあり、無駄に魔力を消耗したいとは思わなかった。

 その軍道は、幅が十メートル強程あった。軍道を逸れるとすぐ森林になっている。そこを一千名の兵士が通っていた。 

「うっ!」

 ウィンディは偃月刀で、飛来した槍を叩き落とした。次の瞬間、左右の森から歩兵が一斉に躍り出た。矢と槍が飛来した直後で、下から槍を突き上げる歩兵のいきなりの出現に、一瞬軍団の反応が遅れた。

 ウィンディは十名程の歩兵に躍り掛かられた。一斉に槍が繰り出される。内、何撃かは、乗馬を突き刺し、馬が倒れたためウィンディは地面に叩きつけられた。

 そこを、すかさず歩兵が攻撃してくる。ウィンディは偃月刀を振り回して凌ごうとしたが、座り込んだままの姿勢では防ぐのは難しい。

「近寄るな!」

 ウィンディは、必死で歩兵の槍や長刀、剣を凌いでいた。ウィンディの目には、敵が自分をいたぶって楽しんでいるように映った。

『女のくせに』

『強がんなよ。恐いんだろう』

『近寄るな? カワイイねえ』

 ウィンディには、そんな声が聞こえてくる気がした。男尊女卑の時代である。ウィンディは中傷を受けることは多かったが、却ってそのことで、無口・無感情の傾向に拍車がかかったことには、ウィンディ自身気付いていなかった。しかし、元々繊細なウィンディの心は、相当傷ついていた。

「女だからって……なめないでよ」

 ウィンディは、すさまじいまでの殺気をその目に宿した。歩兵達が一瞬怯む。その間に立ち上がり、偃月刀を振るった。正面の歩兵が首と胴を分断されると、歩兵達は再び攻撃に転じた。

「死になさいよ!」

 ウィンディは偃月刀を振るい、後の歩兵を牽制すると、即座に前方の歩兵を薙ぎ払った。まとめて二人の歩兵を討ち取る。

「……」

 ウィンディは無言で歩兵を睨み付け、次々に薙いでいく。歩兵はその異状な殺気に押されていた。

「ウィンディ。後だ!」

「え?」

 ウィンディはイワキの声で我に返った。後を向いた瞬間、歩兵の長刀が襲いかかった。冷静さを失っていて、接近に気付かなかったらしい。

「……っ!」

 ウィンディは思わず尻餅をついたが、おかげで攻撃は完全には決まらなかった。

 ウィンディは、思わず頬に手をやった。その手を見ると、血がべったりと付いている。頬を薙がれたとウィンディは認識した。

 ドスッ、という鈍い音と共に、自分の目の前に歩兵が崩れ落ちる。

「馬鹿野郎! なにボーッとしてやがんだ!」

「え? え?」

 イワキは舌打ちすると、槍でウィンディに群がっている歩兵を串刺しにして回った。

 ウィンディは、尻餅をついたままなぜか動かなかった。いや、本人は動くことが出来なかった。我に返った直後から、金縛りにあったように自由に身体が動かない。

 しばらく、ウィンディは雨に打たれていた。動こうともしないその姿は、敵にとっては格好の的だったはずだが、イワキが一兵も近寄らせなかった。

 敵は少数兵による威力偵察だったらしく、まもなく引き返していった。帝国軍も、混戦のわりには、大した犠牲者を出していなかった。

「……」

 イワキは馬を降りると、無言でウィンディに近付いた。ウィンディはまだ座り込んで地面を見ている。

 イワキはウィンディの前でしゃがみこみ、肩を掴んで揺すった。

「おい、しっかりしろよ! いつまで座りこんでんだ」

「……あ、あれ」

 ウィンディは、現状が把握できていないらしい。

「突然大声上げて、敵に突っ込んでいったと思ったら、今度は動かなくなって……一体どうしたんだよ?」

 ウィンディの表情は、いつもの無表情ではなかった。かなり動転しているのが、手に取るように分かる。

 イワキはその様子を見て、引き返して気が落ち着くのを待ったほうがいいなと考えた。

「とにかく引き上げよう。おい、誰か馬をもってこい」

 兵の一人が、主人を失った馬を一頭連れてくる。イワキは、ウィンディを抱えるようにして起き上がらせた。

「ほら、乗れよ」

「……」

 ウィンディはうつむき加減のまま頷くと、馬に乗った。イワキも馬に乗る。

「よし。引き上げるぞ!」

 イワキが槍を高く掲げそう叫び、馬を進めると、兵達も付いてくる。ウィンディは無表情に戻っていたが、かなり落ち込んでいるらしく、俯いたままイワキの傍らで馬を進めていた。

「……ごめん」

 雨は上がり始めていたので、その小声はイワキの耳に入った。

「私……本当は弱いから」

「……十分強えよ」

 ウィンディは俯いたまま、首を横に振る。

「腕じゃなくて……」

「心も十分強えだろ」

 イワキは正直にそう思っていた。男尊女卑の時代に、皇室の血を引くとはいえ、軍人として最高位に近いところにいることが、どれだけ周りからの反感を買っているか、そもそも、軍に入った時点で相当疎ましがられたに違いない。それに耐えることがどれだけ辛いことかは、想像を絶するものがあっただろう。

 ウィンディはそれでも首を横に振った。

「総長失格かな……」

「考えすぎだ」

「……」

「お前は、間違いなく軍人としての才能あるよ。オレよりもね」

「そんなこと……ない」

 イワキは、ウィンディの頭を軽く小突いた。ウィンディは顔を上げてイワキに視線を向ける。無表情だが、目が微かに赤く見えた。

「自信持てよ。女がどうのとぬかす奴らより、お前のほうがよっぽどすごいと、オレは思う」

「……」

「それにだ……人間誰でも弱いところはあるよ。お前の場合、悩みとか全部抱え込んでそうだからな。感情剥出しにして、憂さ晴らししねえとまいっちまうぞ。……オレでよければ、いつでも愚痴聞いてやるしよ」

 ウィンディは無言でイワキを見つめていた。イワキは言った後で照れ臭くなったのか、目を逸らして鼻先を指で掻きだす。

「そう言ってくれた人……初めて。……優しいんだね」

「え? あー……別に優しいとか……なんとかじゃなくて……えーと、なんだ……」

 イワキは、ますます照れ臭くなったらしく、出る言葉が、うまく言葉になっていない。

 ウィンディは、ほんの一瞬だが笑みを浮かべた。

「やっぱり、優しいよ」

 

 

「なあ」

 イワキが声を掛けると、ウィンディは無言で振り向いた。 

「そのよう……顔に傷ついちったな」

「……気にしてないわ」

 ウィンディは再び、前方に視線を戻した。そのまま両者共しばらく沈黙が続いたが、二、三分経った時、

「でも……ありがとう」

「え? 何だって?」

 その声は余りに小さかったため、軍馬の闊歩する音に掻き消されてしまった。

 ウィンディは首を振ると、

「何でもない」

「いや……そうでもなさそうだ」

 イワキは険しい顔つきになった。

「……そうみたいね」

 ウィンディは偃月刀の柄を握り締め、軍道を挟む山々を凝視した。上官の様子を見た部下達も臨戦態勢をとった。

 その時、山々に銅鑼や鐘、笛の音が鳴り響いた。地を揺るがさんばかりの喊声が上がり、帝国軍のいる盆地を挟み込んでいる山からは、歩兵と魔術部隊が、正面の軍道からは騎馬部隊が一斉に躍り出た。

「挟み込まれたぞ!」

 イワキは後を振り返った。背後からも砂塵が立ち上がるのが見えた。包囲されたのである。

「我が装甲魔術兵団は、敵歩兵と魔術師を攻撃せよ」

 装甲魔術兵団は、いわゆる魔法剣士の軍団であり、白兵戦も、中遠距離の魔術戦もこなす万能部隊であった。それが、二手に別れて、山を下ってくる敵兵を迎え撃つ。

「長槍騎兵団は、前後から迫る敵騎兵を攻撃せよ」

 長槍騎兵団は、その名の通り、騎馬に跨がり、長槍でもって突進し、敵を突き崩す兵科である。騎兵はそれまで、幾つかの隊列を組んで独自に突撃をしていたが、イワキは重装歩兵のファランクス……密集体系を取り入れ、騎兵版ファランクスを確立していた。三メートルもある槍を前方に突き出したまま、横一列に並んだ騎兵をさらに後方に三列組み、一斉に突撃するのである。兵と馬は装甲を身に纏い、敵の飛び道具と魔術攻撃から身を守らせた。敵が歩兵や騎兵であれば、一方的な戦闘が展開できた。ただ、混戦の場合は、一メートル強の通常の槍で戦うのだが。

 雨のような矢が、矢独特の音を奏でながら飛来する。その大半は、装甲に身を包んだ両軍団には大した打撃を与えられなかった。

 続いて、雷撃系の魔術が降り注ぐ。さすがに、特殊加工を施し、魔術対策がとられた甲冑を着込んでいても、まともに食らえば、人間を消し炭に変えてしまう攻撃である。複数の雷撃を集中された兵士は、鎧が無事でも、中の人間が無事では済まなかった。

「……炎よ、矢となれ!」

 ウィンディは偃月刀で敵を薙ぎ倒すと同時に、すでに唱えていた術を、その後方にいた魔術師へと発動させた。発動の際、言葉を発するのは、イメージを具現化する手助けとするためで、必ずしも言う必要はない。

 術の威力は、術者の魔力によるところが大きい。そして、ウィンディは一流の魔術師に匹敵する魔力を持っていた。

 炎の矢を食らった魔術師は、特殊加工のローブを着込んでいたが、威力を掻き消しきれずに消し炭になった。

「!」

 ウィンディは背中に大きな衝撃を感じた。振り返りざまに、前方の敵に用意していた雷撃を放つ。本調子のウィンディが放つ雷撃は、半径三メートルの敵兵を殺傷する位の威力があるが、衝撃で精神を少々乱されたため、雷撃の奔流が現われたわけではなかった。しかし、食らった魔術師は地面を転がり回って痙攣していた。腰の辺りに隠していた小型ナイフを投げて止めを刺す。ナイフには毒が塗ってあった。

 ウィンディが肩ごしに背中の方を見ると、耐火マントの一部が焦げ落ちていた。火球が掠ったらしい。

 ウィンディが魔術師に気を取られている隙に、歩兵がまとわりついてくる。その歩兵を偃月刀を振るって薙ぎ払った。辺りを見渡すと、付いてきている味方が殆どいない。少々突出しすぎたらしい。しかし、ウィンディは引き返そうとはしなかった。林の中なら、一斉に襲いかかられる心配が殆ど無い。腕に自信があれば、戦力差があっても関係がないからだ。 昨夜の夜戦のショックから、ウィンディは完全に立直っていた。

「手綱を緩めるな! 敵を一気に突き崩せ」

 イワキは騎兵の先頭に立って、敵軍の中に突撃していた。三メートルもの長さの長槍を突き出したまま、敵軍の中へ一糸乱れず突撃するのは、相当な訓練が必要であり、十五万の騎兵の中から選ばれた、二万五千の精鋭がこの軍団であった。

「げぼっ」

「ぶへっ」

 軍団の前方に立ちはだかった歩兵が、次々と串刺しにされていく。歩兵を囮としていた敵騎兵は、軽い槍を装備しており、それを投げ槍として使用した。槍の先は、衝撃を受けると曲がるようになっており、敵に拾われ使用できないようにしてあった。

 いくら装甲に身を包んでいても、飛来する槍をまともに食らえば、負傷する。装甲の継手に命中した兵士は、重傷を負うか戦死した。

「クソッ! 雑魚どもが!」

 通常の槍ならともかく、長槍は自在に振り回せない。イワキは身を屈めて、飛来する槍が当たらないようにするのが精一杯であった。

 それでも、槍を投げてしまえば剣しか持たないただの騎兵である。逃げ出そうにも、距離が近すぎ、騎兵の多くが串刺しにされた。

 

「……」

 深緑色の上に金色の竜の描かれた甲冑を着込んだ男が、山頂から戦局を眺め、旗などを使い兵を動かしていた。

 イリリア王国国王親衛隊隊長、ベニト・デキウスはその指揮下に、親衛隊八万、私兵四万、陸軍遊撃隊二万を収めていた。

 デキウスは正面対決を避け、帝国軍主力を奥地へ誘い込んでから殲滅するつもりでいた。デキウスもまた、自国の海軍が勝利したことを知らなかったが、そんなことはどうでもいいことだった。上陸してきた敵主力を全滅する。これだけで失地は回復できる。主力がいなくなれば、後に増援が来ようと撃退できると考えていた。

 デキウスは、八万ほどの戦力で戦闘を仕掛けたが、それでも自軍が押されているのには、内心驚かされた。

 髭達磨のあだ名で兵士から親しみと尊敬を集めているデキウスは、理知的で合理的な判断のできる人物であった。

「帝国軍は疲れ果てていると思ったのだがな」

 デキウスは、万が一に備え、全力攻撃は掛けなかった。最精鋭の四万は布陣している山から動かしていない。自軍が敵を押しているようなら全力攻撃へ移行する計画であった。

「このままでは被害が増すばかりだ……。一旦兵を引き上げさせる。合図を送れ」

 命令通り、兵士が銅鑼や鐘を鳴らし、赤く染めた旗を大きく振った。これが白なら全力攻撃の合図である。赤は引き上げを意味していた。

 合図を見た兵団は、潮が引くがごとく引き上げだした。山や林の中へ逃げ込む王国軍は大した追撃を受けないはずであった。

 その時、山々を大きく揺るがす爆発が起こった。爆炎が所々に立ち上る。帝国軍の半数は魔術が扱える。その単発の威力が巨大でなかったにしても、二万以上の人間の魔術が一斉に炸裂したのだ。乱戦の中でなければ、精神の集中も容易である。

 その光景に最も驚いたのはデキウスであった。

「何を考えてやがる! 狂ってるのか?」

 デキウスがそう言うのも当然であった。ここは山岳地帯である。山を揺るがすような程の魔術を繰り出せば、地盤が崩れる恐れもある。火災が発生すれば、森林に燃え広がり、風向き次第では自軍が巻き込まれる恐れもある。軍道に大穴でも開けば、物資の輸送にも支障が出る。

「……」

 実際、山の一部は土砂崩れを起こしていたし、広がる火災は、その時の風向きが南だった事もあり、デキウス達の退却方向に押し寄せた。軍道のあちこちには、直径二、三メートルの穴が無数に開けられていた。

 帝国軍も、何も計算せずに魔術攻勢に出たわけではない。風向きや敵の退却路を計算の上でやったのである。デキウスは冷汗を流していた。

「まともに、平原地帯で勝負していたら……勝ち目は無かったかもしれんな」

 デキウスは、改めて魔術の威力を思い知らされるのと同時に、自らの作戦が誤っていなかったことを確信した。

「どうします。夜間攻撃を掛けますか?」

 数時間後、整理された報告を受けたデキウスは、被害が予想を遥かに上回っていたことに驚愕した。副官が、予定通りの作戦で行くかを聞いてきたのはそのためである。

「うむ。予定通りにいこう。敵は土塁に引きこもってしまったが、対策はある。ただ、やはり全力攻撃は止めよう」

 デキウスがそう言うのも無理はなかった。昼の戦闘で失った兵力は四万にも達したからだ。敵に与えた損害が五千程度に過ぎないことは、転がっていた死体から大体推察できる。負傷者の数は分からないが、それでも、土塁の中に入ってしまった敵に全力を出すのは危険であると判断したのだ。

「敵は疲れ果てているはずだ。休む暇を与えてはならん。敵が疲弊しきったところで全力攻撃だ」

 

 山の入口に築いた土塁の中に逃げ込んだ帝国軍は、殆ど全員が大なり小なり負傷していた。土塁の兵一千と比較的疲労の軽い兵に守備を任せ、残りの兵士には休息を与えた。食事も、普段より豪勢な特別食を振る舞い、士気の鼓舞が行なわれた。

 司令官のイワキとウィンディは幕舎の中で、善後策を練っていた。

「ここまでに築いてきた土塁は十二箇所だ。その総兵力は一万二千。こいつらと合流しねえと危険だ」

「そうね……引き上げるなら、今しかないわ」

 二人共、引き上げるということで考えがまとまっていた。これ以上奥地へ誘い込まれたなら、この兵力数では全滅すると昼間の戦闘で痛感したからだ。疲労困憊したところを大軍で狙われればひとたまりもない。

「敵としたら、俺達に休む暇なんか与えねえだろうな」

「そうね、今夜もくるわよ……きっと」

 司令官である二人は、いくら疲れていても休むことさえできなかった。

「引き上げの時は、あなたの騎兵が先頭になって進路を確保し、私の兵団が、側面と後方を守る」

「……それしかねえな」

 イワキは、ウィンディを後列へ置いていくことに抵抗を感じたが、それ以外どうしようもないためしぶしぶ頷いた。後列に残るということは、追撃された際に生存率が低いことを意味する。戦争は、進撃するよりも撤退するほうが遥かに難しい。逃げながら戦うのは極めて危険なのだ。

「さて……私は幕舎の方に戻るわ。敵の夜襲にも備えないと」

 近接戦闘や間接攻撃ならウィンディの軍団の方が優れていたのだ。ウィンディは椅子から立ち上がると、イワキの側に寄ってきた。

 身を屈めてイワキの顔を見つめていたかと思うと、突然、イワキの唇に自分の唇を重ねた。

 しばらく、沈黙が場を支配した。

 ウィンディは重ねていた唇を離すと、幕舎の外へと歩を進めた。入り口で一旦立ち止まり、そのまましばらく立ち止まっていた。そして、入り口の覆いを上げて外に出る時に、イワキの方を振り返った。その表情には微笑を湛えていた。

「これが返事よ」

 ウィンディはそう言うと幕舎を出ていった。中には、呆然としているイワキが残された。イワキはしばらくすると、唇にあった感触を思い出し、赤くなった。

 夜襲は、その直後であった。


【戦場に吹く風】 - 第二章 -
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