【ホワイトデー】 - 全章まとめ読み -
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ホワイトデー
                                                      陽ノ下光一


「大竹さん。すぐに……すぐに大学の側の公園へ来てください!」
「え? どうしたんだ静香?」
 いきなりそう言われて、オレはわけがわからなかった。
「とにかく早く!」
「おい、静香? おい!」
 携帯は一方的に切られていた。静香は人をからかったり、嘘をつくことのできない娘だ。何があった。オレは胸の鼓動が激しくなるのを抑えられなかった。オレは急いでコートを着込み、雪の降りしきる屋外へ出ていった。


「紅って、白に映えると思いません?」
 静香は、オレの対面でそう問い掛けてきた。
「REDの赤?」
 静香は首を振って否定した。ウーロン茶しか飲んでいないのに、頬はやや赤みがかっている。
「いいえ、CRIMSONの……やっぱり違うなあ。鮮やかな……そう緋色です。SCARLET」
「ああ、そうだね」
 オレは少々大声で返答した。まったく、うちの部員は騒がしい。ろくに会話もできやしない。まあ、飲み会なのだから仕方がないが。
 静香は、オレが賛同すると、ますます頬を赤くして俯いてしまった。うちの部にとっては貴重な存在だ。なんせ、この文芸研究団体の構成員ときたら……。
「うおっ!」
「ほらほら雄次君。もっと飲みなさいよー」
「部長、背後から抱きつくのはやめてください! 重いです」
「えー! 私、重くないわよう」
「ああ、なんてうらやましいんだ雄次君! 部長に抱きついてもらえるなんて〜」
「こうなればヤケ酒だあ」
「イッキ! イッキ!」
 ……どうしてうちの部員はこうバカ騒ぎするんだ。
 超個性的、うわばみ、酒癖が悪い。男性陣は奇人・変人ばっかりで、女性陣はよくいえば明朗快活。しかし逆を言うとおしとやかさは微塵も無いし、がさつ。それが、この部に入ってくる人間に伝統的に共通しているといえる。
 まったく静香は珍しい。優しいし、気は利くし、おしとやかだし、この部の構成員とは全く正反対だ。まったくもって可愛い後輩だ。
「だから部長。離れてください」
「すうすう」
 まったく……人に抱きついたまま寝てるし。
 そこで辺りを見渡すと、他の部員は大騒ぎしながら酒を飲んでいる。そして、視線を対面に座っている静香に戻すと。やっぱり浮いていた。視線を交互にオレと、オレに抱きついたまま寝ている部長に向けている。その視線に一瞬、冷たさと燃えるような熱さを感じたのは気のせいだろうか。
 オレは、抱きついている部長を後のスペースに転がしておいた。そのうち起きるだろう。
 再び静香に視線を戻すと、少し笑みがこぼれていた。
 やはり気のせいか。
「で、大竹さん。今回の冊子なんですけど」
 周りが大騒ぎしている中、オレは静香との会話を楽しんだ。


「おっす、大竹」
「おう、清水じゃねえか」
 オレが、図書室でレポートと参考文献という名の敵と悪戦苦闘しているところに声をかけてきたのは、ここ数週間会っていなかった友人だった。
「おやおやレポートかあ? せっかく飲みに行こうと思ってたのに」
「うっせえなあ。……お前、ずいぶん焼けたな」
 清水は長い前髪を手でかきあげ、目を細めた。コイツの悪いクセだ。
「まあ、正月からスキーに行っていたからな」
「はいはい、そうかよ。で、他に用がねえなら向こうに行ってくれ。オレは忙しいんだ」
 そう言うオレを無視して、清水はオレの隣に腰を降ろした。
「で、あと一ヵ月でバレンタインですが、大竹先生はどうなりそうですか?」
「……てめえの自慢話を聞いてる余裕は無いんだよ。第一、そんな一ヵ月も先の話ししてどうすんだか」
 清水はまたも長い前髪をかき揚げた。どうして女ってのはこんなヤツに贈り物すんのかね。オレは不思議でしょうがない。まあ、コイツの見た目がいいのは認めるが。


「でなあ、コイツがとんでもねえナンパ男なんだよ」
「でもカッコイイ方ですね」
 静香は、清水の写真を見てそう言った。静香のようなタイプの娘が、こういう男に惹かれるとはよく聞くが、どうやら本当らしい。静香が頬を赤くしているのは、部室のヒーターが利きすぎているからではないだろう。
「でも、私は」
 静香は写真からオレに視線を移し、もじもじしながら何か言っていたが、声が小さくて聞き取れなかった。
「え? 何?」
 静香は俯いてしまい、応えてはくれなかった。
「な〜に話してんのっ」
「部長……だからいきなり背後から抱きつくのやめてください」
「ふっふっふっ。二人きりで何いいムード作ってんの」
 部長は、抱きついたままオレの頬をつっついている。まったくうっとおしい。
静香の方を見ると、俯いたまま長い黒髪をいじっている。足を浮かせてブラブラさせたりと落ち着きが無い。 
「ありゃ、静香がもじもじしちゃってる。雄次君。ダメだよう、もっと女の子の気持ちは考えてあげなきゃ」
「考えてないのは部長の方では。静香の性格も考えて下さいよ。目の前で女と男がイチャついてても赤くなる娘なんですから」
 オレはその時、静香の肩がビクッと震えたのには気付かなかった。オレはもっと気を付けるべきだった。


「大竹さん、荷物持たせてしまってすみません」
 静香はオレの傍らを歩きながら顔を覗き込み、すまなそうにしていた。
 少々長めのコートと大きめのマフラーを身につけている静香は、服を着ているというより、服に着られているという感じがして可愛い。紺色のコートと白のジーンズ、紅色のマフラーを身につけている静香は、雪の降り積もる冬の夜に映えていた。
「こんな雪の降る日じゃ買い出しは大変だろ。こういう時は互助すべきだ」
 オレが買物袋で両手が塞がっているため、静香は少し手を伸ばして相合傘にしている。オレは百八十二センチの長身だから、百五十二センチの静香は辛そうだ。 
「雪の夜って静かですね」
「ああ、オレはこの雰囲気が好きなんだ。そういえば静香は岩手出身だったよな」
「はい。ですから冬の間は雪ばっかりです」
「でも北国の人って、雪が降ってもあまり傘差してねえよな」
「その……こちらの雪は湿っていて、服が濡れちゃうんです。向こうのは乾いていて、払えば簡単に落ちましたから」
「ああ、こっちで子どもの頃雪遊びするとよくびしょぬれになって風邪引いたな」
「それはあまり雪に慣れていないから……その、私達よりも風邪を引きやすいというのもあると思います。私達もびしょぬれになれば風邪引きますし」
 静香は頬を紅潮させている。色白の娘なだけに余計に目立つ。オレが見ているかぎりでは、相当内気な性格も手伝ってか、人と話をしている時は赤くなっている気がする。
「よお、大竹」
 手を振ってこちらに近付いてきたのは、清水だ。まったく余計なところに出てきやがる。
「おや? 彼女か?」
 清水はオレの傍らで傘を差していた静香の顔をまじまじと見つめた。静香は目を逸らしてなにやらぶつぶつ言っている。
「サークルの大切な後輩だ! お前みたいなナンパ男が口説く対象じゃない」
「へいへい」
 清水はそう言いながらも、視線は静香に向けたままである。オレは気付かなかったが、静香が肩をピクリと震わせたことに清水は気付いた。
「あ、なーるほどねえ。確かにオレにゃあ口説けねえや」
 清水は口笛を鳴らすと、俺達の隣を通り抜けていった。
「じゃあなあ! オレも買い出しの途中なんでね」  
「わかったから、さっさと行け」
「へーい。あ、キミ。いつか飲みに行こうね」
「しっしっ」
 オレは犬を追い払うように、清水を追い払った。お前のようなナンパ男には静香は似合わん。
「ふふっ」
 振り返ると、静香は口元に手を当てて笑みをこぼしていた。
「どうした?」
「あ、いえ、すいません。なんでもないですよ」
 その日、静香をアパートまで送る間、静香がやたら上機嫌で時折笑みを浮かべていたのが記憶に残っている。


 その日、静香を送り帰宅した後、オレは携帯に着信が入っているのに気が付いた。
「清水と部長か」
 あまり気は進まないが、一応二人の携帯にかけた。
「おう、やっとかけてきやがった」
「かけてやったよ。で、なんだ?」
 もう夜の十時を回っている。先日がレポートとの格闘で徹夜だっただけに、はやく寝たいところだ。
「いや、さっきの娘だよ。お前の彼女だろ? いいねえ、あんな美少女。色々知ってないことも多そうで」
 オレはちょっとムカッときた。
「彼女じゃねえよ。あんないい娘がオレやお前になびくわけねえだろ。……いやらしいヤツだ。それだけなら切るぞ。オレは眠いんだ」
「おいおい、小学生でもこんな早く寝ないぜ」
「オレは徹夜明けなんだよ!」
「ははは、まあ気にすんな」
 まったくコイツは、なんでこう自分勝手なのか。
「オレは結構女にモテる。さっきの娘はオレの経験からして、すげえ上玉だぜ」
「はいはい、先生の自慢話は結構です」
「あー待て待て切るな。つまり、オレは親友としてお前にアドバイスを……」
「切るぜ」
「あの手の娘はなあ、注……」
 何が言いたかったか知らないが、やかましいので切っておいた。またかけてくるとうるさいので、メモリ指定着信拒否をしておいた。
 さて、次は部長だ。
「おう、かけてきたわね」
「で、何の用ですか? オレ、徹夜明けで眠いんすけど」
「あのさあ、雄次君……編集じゃなかった?」
「あ! スンマセン。忘れてました」
「まったく、いくら携帯にかけてもでないんだから」 
「本当にスンマセン」
 オレが必死で謝ると、携帯の向こうからため息が聞こえてきた。
「もう、印刷は終わってるから……明日の製本には来てよね」
「あ、はい」
「それじゃあ、おやすみ」
 部長は携帯の向こうで投げキスでもしたつもりなのか、口付けでもしたような音が聞こえた。
「オレって編集だったっけ?」
 オレはメモ帳を開くがそのようなメモはない。ただ記入を忘れてただけか。
「ま、いいや。シャワーでも浴びて寝よ」
 勤務時間三十八時間の身体にとりあえず感謝。


「はい! みんなご苦労さま!」
 一冊当たり百二十ページの作品集を二百冊。その全ての製本が終わった。
 今日、製本をやっていたのは編集の部長とオレ、そして手伝いにきた四人の部員。さすがに、雪が五十センチも積もり、まだ降り続いている状態では、大学の近くに住んでいる部員しか来れない。例年なら、四、五センチも積もればいいところなのだから、記録的な大雪だ。
「うーん、こんな大雪だし、飲み屋もやってなさそうだしねえ……打ち上げはまた今度ってことで、今日は解散にしましょう。まだ雪降ってるし」
 部長の言うとおり、ここは素直に帰ったほうがよさそうだ。いつもは何が何でも飲みに行く部員たちも、帰りが不安なのか帰宅していく。
「おつかれー」
「はーい、おつかれさま!」
「おつかれさまでした」
 オレも、他の部員に続いて帰ろうとした。
「ちょっと待て」
 しかし、部長はオレのコートのフードをつかんでいた。
 いきなり引っ張られたので、一瞬首が絞まった。
「何をするんですか」
「きゃーん、怒んないで」
 言って部長は頭を抱えた。
「まったく、早く帰んないとヤバイですよ」
 外はほとんど吹雪の状態である。
 部長はオレを無視して、床に置いてあった段ボールを開けている。
「何してるんですか?」
「ふっふっふ……ジャーン!」
 部長が振り返りざまにオレに見せたのは、焼酎であった。
「つまみもあるのよ」
 部長が開いた箱の中には、ナッツからポテチ、煎餅にするめイカ、パンやらジュースやら大量に入っていた。これだけあれば、五、六人でちょっとした飲み会ができると思うが。
 誇らしげに箱の中を見せる部長は、いたずらをして無邪気に笑っている子どものような、いつもの笑みというより、みんなに悪いことしたかなといった、ばつの悪い笑みを浮かべていた。
「でも、この雪じゃあ……。第一、二人で飲んでいても」
「そうだよね……ゴメン」
 その時オレは、部長が悲しそうな顔をするのを初めて見た。この人でも、こんな顔ができるんだな。
「実はね、雄次君は編集じゃなかったんだけど」
「やっぱり」
 オレがそう言うと、部長はいたずらをやった子どものように、舌を出してみせた。
「へへへ、一人でも人員がほしくてねえ。それに今ね、私の部屋の暖房壊れてて、寒いの。うん、寒くて……へへへ。だから、部室ならヒーターがあるし、後はお酒とかで暖まれば」
 部長は早口でしゃべっていたので、オレにはよく分からなかったが、要するに部屋が寒いのか。
「だけど、一人で飲んでるのもなんだし、だからそのね……あー、こんなの私のガラじゃない! とにかく飲むの。今日は雄次君と飲むって決めたの! はい、決定」
「え? でも、その……」
「うるさーい。私と飲むの!」
 結局、オレは強引に部長に付き合わされた。


 まったく早いもので、もう二月だ。そう、あの忌まわしいイベントが目前なのだ。清水のようなもてるヤツのためにある月じゃないのか今月は。オレのように、一度も貰ったことのないヤツにとって、全国でおそらく過半数の男が貰えない……とオレが半ば確信的な推測をするこのイベント。まったく、どこの製菓会社の陰謀だ。
「よーっす。大竹君」
「ナンパ男に声をかけられても嬉しくない」
「つれないねえ。でも、オレは男に手を出すほど餓えてはいないんだがなあ」
 くそ、あいかわらずムカツク男だ。清水、貴様は世界中の男の敵だ。
「とうとう、イベントまであと二日。ああ、きっと我がスウィートハニー達がオレのために心を砕いているんだろう」
 勝手に妄想を始めやがった。人のレポートを邪魔してんのかコイツは。……手元の広辞苑で秘技「側頭突き」をぶちかまそうか。
「まあ、毎年平均三、四十個のチョコがくるんだが、いかんせん返すのが大変でねえ。ふっ、この辛さはもてる男にしかわからんのだよ」
 それはそれで返すのヤだなあ。女性ばかりの職場で大量の義理チョコもらった中年サラリーマンの話をラジオで聴いたけど。なんかムカツクが、なんか同情してしまうな。
「まあ、この大学には清水ファンクラブという非公認の団体があるが、もし欲しいならお前にも分けよう」
 ……やっぱコイツは抹殺決定だ。
 オレはそう決心し、清水に気付かれないよう、広辞苑を左手に装着。準備は完了だ。幸い、図書室の人影はまばらだ。
「あ、でもお前は一人アテがあるか」
 清水は思い出したようにそう言った。……「側頭突き」に対しての牽制か。さすがに何度もうまくはいかないか。
「あの、後輩の娘だ。あの娘はくれるだろうよ」
「何故?」
 オレが真顔でそう言うと、清水は小馬鹿にするかのように、ふっと息を漏らした。
「だめだなあ。そんなだから今までモテなかったんだよ。大体、日常接していれば態度からわかると思うがね。オレはあの時すぐわかったけど」
「何のことだ?」
「は〜あ、あの娘もうかばれねえな。相手がこんな朴念仁とは」
「?」
「お前がその気になりゃあ、あの娘の身体も……」
 オレは、迷わず秘技「側頭突き」を清水のこめかみに炸裂させた。


 で、日の経つのは早い。悪い出来事などすぐに来る。こんな差別的なイベントは廃止すべきだ。オレは一瞬、総理大臣になって、この差別の撤廃をするかと考えたが、最近の政治の成り行きを見ると、オレが総理大臣になっても、この画期的な計画は否決されるだろうと考え、やはり一瞬で夢は放棄した。
 すでに先週までに、テストは終了しており、あとは幾つかのレポートが残っているだけであった。今日はそのうちの一つの提出日。嫌だが大学へ行くしかないな。一応、部室にも寄って飲み会の人数も確認しねえと。幹事だしな、一応。
 で、レポートはさっさと提出してきた。……しかし、なぜみんな浮ついているんだ。キリスト教圏の方々はこんなイベントはやってねえぞ。くそ、これみよがしに出すな。その甘い物体を。オレは欲しくなんかねえぞ。オレは全国の過半数を上回るであろう男達の味方だ。
「おや、誰もいねーや。珍しい」
 部室に入ると、そこには誰もいなかった。珍しい。いつもなら二、三人はいるんだが。やはりあの奇人変人集団ではブツは貰えんのだろう。ああ、我が同士達。女性陣は、まあ、このサークル内には渡すヤツなどいないといったところか。
「えーと、打ち上げに参加するのは……十五人か。ま、店に連絡でもして帰ろう」
 オレがそのまま部室を出ようと、入り口に向かった時、ちょうどドアが開いた。入ってきたのは、腰まで届く長い黒髪を持った美人であった。
「やっほー! あれえ、雄次君以外誰もいないの?」
「ごらんの通りです」
 現われたのは部長であった。相変わらず背が高い。なんでオレとほとんど身長が変わらないかな。バレーボールでもやれば活躍できそうなのに。
「ああ、ちょうどよかったわ」
「?」
 部長はオレのすぐ目の前に立つと、手を後に回し目を細めた。
「今日って何の日だ?」
 オレは思わずため息をついた。
「男の過半数が家で泣いてる日です」
 部長は身を屈め、下からオレの顔を覗き込んだ。息遣いが聞こえてきそうで、急に胸の鼓動が早くなる。
「じゃ、雄次君はその逆の陣営ね」
 部長は、オレの顔に一つの包装された箱を押しつけた。
 オレが頭の中を整理できないうちに、部長はその箱を持った手を降ろした。その直後、今度こそオレの思考回路は停止した。
「……」
 数秒。オレの唇に、間違いなく柔らかい感触があった。
 そして、その感触がなくなったと思った次の瞬間、今度は自分を何か……そう、いつもと違って、優しく包み込む感触があった。そしてオレは、何を考えたか、自然に部長を抱き締めていた。
 部長の表情は、その顔がオレの肩ごしに背後を見ている格好になっているためわからなかった。
 ただ、次に聞こえた言葉は、いつものうるさいといった感じの声とは違かった。か細く、消えそうな声。
 オレは、その言葉にYesと応えた。


「あれ?」
 オレがその日帰宅したのは、夜の十時を回ってからだった。今日のオレは、どこぞの製菓会社の陰謀に感謝していた。すばらしい。オレは一瞬、総理大臣になって、その製菓会社の社長に社会内での優遇措置をとらせてあげたいと考えたが。しかし、最近の政治の成り行きを見ると、オレが総理大臣になっても、この画期的な計画は否決されるだろうと考え、やはり一瞬で夢は放棄した。
 帰宅したオレは、郵便受けから何かがはみ出ているのに気が付いた。
 オレがそれを手にとると、それが赤い色の包装紙に、白のリボンをあしらったハート型の物体であることに気が付いた。素直に考えればチョコだよなこれ。
「誰からのものだ?」
 オレの経験では、母親にすら貰ったことのないバレンタインチョコなので、誰からのものか見当もつけられない。というか、オレ自身もてたことがないので、誰かわざわざ持ってきてくれる人がいるんだろうか。部長の気持ちだって、今日の今日までわからなかったオレに、どうやって郵便受けに入っていたチョコの送り主を推測しろというんだろうか。
 オレはどこかに名前か、手がかりになるようなものはないかと探したがない。郵便受けの中にもだ。
「わからん。……オレの知り合いの女性は」
 オレは、部屋に入ると必死で頭をフル回転させたが、どうしてもオレにチョコをくれる女性が浮かばない。くそ、知り合いが多すぎるんだよ。知り合いが。
 といって、「オレにチョコくれた?」なんて聞いて回るのは恥ずかしいし、第一、オレにくれた人はこれでもわかるくらいの意気込みで郵便受けに置いていったんだろうから、その人を傷つけかねないし。
 困ったぞ、これは。
「このチョコに手がかりがあるんだろうか?」
 赤の包装紙を外し、中の箱を開ける。中にあったのは、ハート型のチョコ。その上には、赤と白のスプレッドチョコがまぶしてある。手作りだろう。
 くそ、誰だ送り主は。ホワイトデーに返さなかったら、その人が傷つくじゃないか。
 オレは、包装紙と、チョコをよく見てみた。
「あれ、どっちも、赤と白が使われてる」
 ということは、これの送り主は、この色で誰が送ったかわかるだろうと考えたんだろう。間違いない。ここまで強調しているんだから。
「しかし、わからん。誰だ?」
 誰かと、以前に色についての話なんかしたかなオレ。


「うっす、大竹」
 翌日、食料の買い出しに出たオレは、同様に買い出しに来ていた清水に偶然会った。清水は買物袋をぶら下げてこっちに近付いてきた。オレはちょうど袋に買った物を入れているところだった。
「おう」
 オレは、顔を上げず、袋に物を詰めながら挨拶した。 
 顔を上げずとも、清水がにやついてるのぐらいは想像がつく。バレンタインの後だからな。
「へっへへ、どうでしたかな大竹君。オレの予言したとおり収穫があったでしょう」
 清水はその口調に溢れんばかりの自信をこめていた。
 オレは、物の詰め終わった袋を右手に持つと、外への歩を進めながら、左手で親指をぐっと立ててみせた。
 清水はそれみろといわんばかりに胸を張ってみせた。 
「よかったな! いや〜これでお前も選ばれし者になったわけだ!」
 清水は心底喜んでいるようだ。こいつはいくつもらったんだか。……聞くのはよそう。むなしくなりそうだ。ま、確実に一つは本命だからいいんだけどな。清水の場合、全部本命か。ファンだもんな。
 ? そういや、あのもう一つは……。
「やっぱり、あの娘だったろう」
 あの娘? ……誰だっけ? えーと。
 オレの考え込んでいる様子に気付いて、清水はいぶかしげな視線を送ってきた。
「違うのか?」
「いや、違うもなにも……あの娘……」
 清水は人を小馬鹿にするように息を吐き出した。
「記憶力悪すぎだ、お前は。じゃあ、誰から貰ったんだ?」
 オレは清水の言葉が少しばかり頭にきたが、反論できないので言い返さなかった。それに、オレが少々のことでは怒らないくらい度量が広いことを示すのも大事だろう。
 オレは素直に答えた。
「サークルの部長だ。それも告白もセットで」
「なんだと!」
 清水は突然すさまじい怒鳴り声を発した。オレの鼓膜を破くつもりか。さては、先日の「側頭突」の報復であろう。
「あ、あ、あの佳澄様にいただいたのか? し、し、しかも……告白されただと!」
 清水にしては珍しく、口調が乱れに乱れている。その表情も完全に平静さを欠いていた。ポーカーフェイスのこいつにしては珍しい。
「あ、あ、あ、お、オレの……オレの憧れの佳澄さんが……あ、ああ」
 壊れたみたいだ。……待て、壊れる前に聞き出す必要があるな。
「おら、清水。しっかりしろ」
 オレは、買物袋を道路に置くと、清水の頬を往復ビンタで叩き始めた。
「あ、あう。大竹。お、オレはもうダメだ」
「弱音を吐くな! 完全に壊れるのはオレの質問に答えてからにしやがれ!」
 オレは友人のことを心配し、言葉を投げ掛けつつも、ビンタの威力を上げていった。
「あ、し、質問?」
 清水はほうけた様な表情で、焦点の合ってない目を泳がせながら応えた。
「他にオレに気がありそうなのって誰なんだ?」
「……」
 清水がなかなか答えないので、ビンタの速度を加速させた。
「う、ああ、あの、お前の後輩……あの内気そうな娘」
 ……そうか、静香か! 
 オレは疑問が晴れると、清水をその場に残し急いで静香の住むアパートへ向かった。


 ……しまった。なんで気付かなかったんだろう。
『紅って、白に映えると思いません?』
『紺色のコートと白のジーンズ、紅色のマフラー』
『赤い色の包装紙に、白のリボン』
『赤と白のスプレッドチョコ』
 これの送り主は、この色で誰が送ったかわかるだろうと考えたんだろう。間違いない。ここまで強調しているんだから。
『誰かと、以前に色についての話なんかしたかなオレ』
「よく考えたら、静香の好き好んで着るものは、かならず赤と白が強調されてたぞ」
 夏は紅と白の服飾だと、あの娘は恥ずかしいですからと言って、服飾は白を基調にして、長い黒髪を大きめの紅のリボンで縛っていた。
 サークルの名簿にも、好きな色「白と紅。ただし、どちらか一方ではダメ。どちらも一緒にあること」と書いてた気がする。
「なんでこんなに鈍いかな」
 オレは自分自身に悪態をついた。
 今更後悔しても遅かったが。
 清水を路上に放置した後、静香の部屋のドアを何度も叩いたが返事がない。もちろん、静香の携帯にもかけたが、「おかけになった電話番号は現在」という、機械音が流れていた。
 郵便受けからはみ出ていた物に気付いたオレは、それを取り出した。
「……」
 それは、この間オレが編集をしていた冊子だった。しかし、その冊子は刃物かなにかでズタズタに切り裂かれていた。所々に赤黒いシミが付いている。
 そこでオレは考えがある一点に至った。
 静香は、おそらく……いや、間違いなく、昨日部室へ来ようとしていたんだ。そこで、ドアの窓越しにでもオレと部長のやりとりを見ていたのだろう。
 ただ、部長がオレにチョコを渡したくらいなら問題は無かったかもしれないが、あの時、オレと部長は……。 
 誰が悪いというわけでもない。タイミングが悪すぎたのだ。いや、静香の気持ちに気付けなかったオレが悪いのか。
 もう静香は実家に帰省してしまったのだろう。しかも、携帯の番号が変わっているということは……。
 オレは頭を抱え込んだ。
「やめる気だな。サークル」
 と、いうことは、真面目で非常に几帳面な静香なら、部室に退部届けかそれに類するものを出しているはず。 
 オレは部室へ急いだ。


 部室には誰もいなかった。珍しいことが続くものだ。 
 確認したかったものはすぐに見つかった。分かりやすいように、連絡用のノートの上に、赤と白のストライプ模様の便箋が置いてあった。
 オレはすぐに中身を確認した。
『文芸部のみなさんには申し訳ありませんが、今日二月十四日限りで退部させていただきます。皆瀬静香』
 ……なんてことだ、昨日じゃないか。
 後悔しても過ぎ去ったことは取り返せない。しかし、オレに何ができたというのか。
 オレはさらにもう一枚中身があるのに気付いた。
 それを見たオレは一瞬凍り付いた。
 そこには赤黒いシミで書かれた文字らしいものが見いだせた。
 余りにひどくにじんでいたため読み取れなかったが、それでもオレの背筋を凍り付かせるには十分だった。


 オレはその後、部長との交際を楽しんだ。
 初めてのデートには(オレにとってはであって、部長はそうではないと思うが)上京して遊園地に行った。定番だといわれても、オレには大して行くとこのバリエーションなど思いつかない。
 他にも、カラオケ、ボーリング、ビリヤード、ゲーセン、湖、公園等々、とにかく毎日のように一緒にいた。 
 それでも、一番楽しかったのは、毎晩部長と一緒に作る料理だった。二人揃って料理が苦手だから、真っ黒に焦げた魚や目玉焼きは当たり前。鍋料理に至っては、大笑い。食べてみるとすごく甘いのだ。何故かと思ったら、部長が砂糖とみりんを加えていたのだ。なんで入れたかと聞いてみると、
「え、だってさあ、やや塩気のあるものって、甘味を加えると引き立つって言うじゃない」
 そう言うのだ。入れる量にも限度があるとは思うが。オレはオレで、その日の刺身に用意したからしに砂糖を混ぜていたから、鍋の甘さの後に、異常なまでに辛さの引き立ったからしで刺身を食べてしまった。
 オレと部長が涙を一杯に溜めて悲鳴を上げていたのは言うまでもない。
 本当に、おもしろ可笑しい日々が過ぎていった。
 しかし、オレの心にはどうしても……霧のように晴れないものがあった。連絡は完全に途絶えていた。一体、今頃どうしているんだろう。このままでいいんだろうか。
傷つけたまま、そのままにしておいて。


 三月十四日。その日は選ばれし者が、お返しをするというイベントの日だ。今年はオレもそのメンバーに加わることができた。
 オレはその前日、いつもより早く部長の家を後にして、このイベントのために何を送ろうかと、市内の各店舗を歩き回っていた。
 しかし、こんなイベントに参加したこともなく、女の気持ちに鈍感なオレに何がいいかなど分かるわけもなく。
 結局、部長の趣味であるぬいぐるみ収拾に協力することにした。購入したのは、抱きつくのにはちょうどいいと思われる大きさのテディベア。
 今月のバイト代が一気に無くなってしまった。ま、いいか。これで部長のあの笑顔が見れるなら。
 笑顔……か。
 あの娘の笑顔……最後に見たのは、雪の降る夜道を一緒に歩いた日だったな。
 オレは首を思いっきり振った。もう忘れろ。今のオレにはかけがえのない人がいるじゃないか。きっと、あの娘だって、いつかは立直ってくれる。そうさ、オレよりいい男なんていくらでも見つかるさ。
 しかし、なら何故オレは静香の分のお返しも買っているんだ? この、赤の包装紙と白のリボンで飾ってもらったオルゴールはなんだ?
 オレが頭を振ったりブツブツ呟くのに、周りにいた客がいぶかしげな視線を送る。オレは我に帰って店を後にした。
 そして今日になったわけだ。……昨夜はほとんど眠れなかった。どうしても、静香のことが頭に浮かんでしまうのだ。
 オレが好きなのは部長だ。なのに何故? 
 オレにとってはあの娘は妹みたいな存在だった。しかし、静香は……。
 オレは何か後悔しているのか? 今は部長と一緒でとても幸せなのに。なにか、どこか空虚な気持ちがする。部長への気持ちは決して偽りではないのに。
 あの娘への罪悪感を感じているのか?
 それはおそらく間違いない。オレが早く気付いていれば、そうすれば別に取れる手はあったかもしれない。その時、付き合うにしろそうでないにしろ……だ。
 少なくとも、部長と抱き合っているところを見られるよりは、はるかにマシな状況になっていただろう。
「ふう……バカだオレは」
 考えれば考えるほどブルーになるのが分かる。
 ……もう考えるのは止めるしかないんだ。オレは部長と幸せになる。それさえ考えればいい。いいんだよ!
 オレは、それらの思考を断ち切って、部長のところへ行こうとした。
「連絡してから行くか。……いや、いきなり行って驚かせてやろう」
 オレはテディベアを抱えて家を出ようとした。
「着信?」
 オレはテディベアをいったん床に置くと、コートのポケットから携帯を取り出した。
 発信者番号通知はしていないらしい。誰がかけてきてるんだ?
「はい、大竹ですが。どちら様で?」
「……」
 電話の主はしばし無言だった。
「もしもし。誰ですか?」
「……」
 さすがにこうも無視されると少々頭にくる。
「急がしいので、用がないなら切りますよ」
 オレがそう言うと、やっと向こう側に反応があった。 
「あ、……あの」
 聞こえてきたのは、今にも消え入りそうな女性の声。
「静香か?」
「……」
 向こうはまた無言になった。間違いなさそうだ。
「どうしたんだ? 連絡ができなくなったんで心配したんだぞ」
「じ、実は……その……言わなきゃならないことがあるんです」
 静香は、意を決したかのように言葉を紡ぎだした。
「私のところに来てほしいんです」
「こっちに戻ってきてるのか?」
「はい」
 そうか、戻ってきてるのか。オレは何故か安堵感を覚えた。
 携帯の向こう側で、静香が息を飲む音が聞こえた。
「大竹さん。すぐに……すぐに大学の側の公園へ来てください!」
「え? どうしたんだ静香?」
 いきなりそう言われて、オレはわけがわからなかった。
「とにかく早く!」
「おい、静香? おい!」
 携帯は一方的に切られていた。静香は人をからかったり、嘘をつくことのできない娘だ。何があった。オレは胸の鼓動が激しくなるのを抑えられなかった。オレは急いでコートを着込み、雪の降りしきる屋外へ出ていった。
 もちろん、静香に渡すオルゴールを持って。


 今年は記録続きだ。三月の中盤に入って、これだけの雪が降っているのだから。
 三月十四日の市内の積雪量八センチ。未だに雪は降り止まない。二月といい、なんて雪が多いんだ。
 雪が靴に貼りついて、走る速度が低下する。急がなくてはならないのに……。急がなくては、何か大事なものを無くしそうな気がするのに。手遅れになったら、もう取り返しがつかない気がするのに……クソッ! なんでこんな時に雪なんだ。普段ははかなく美しい存在だと思っていた雪が、この時ばかりは邪魔な存在になっていた。
「!」
 雪に足を取られて、オレは見事にヘッドスライディングをかました。
 静香の言った通りだ、この辺りの雪は湿っぽい。コートやジーンズがびしょびしょになっている。
 倒れた拍子に、包装されたオルゴールが雪の上に転がった。オレは倒れたまま手を伸ばすが届かない。
 起き上がって雪を払い、オルゴールへ手を伸ばした時、ふと静香の言葉が甦った。
『紅って、白に映えると思いません?』
「確かにな」
 オレはオルゴールを手に、再び走りだした。
 全てが手遅れになる前に。


 その公園は、オレのアパートから走れば四、五分の距離だった。雪のせいでもっとかかったが。
 いつもなら、カップルや子どもを遊ばせる母親、散歩を楽しむ老人で賑やかな公園も、その日は大雪のせいだろう、人は全く見当らなかった。
 公園といっても、この公園は広い。プールや武道館。テニスコートやバスケのコートもある。人一人を探すのも容易ではない。
 オレは、雪の中を一体どれだけ探していたのだろう。 それは数分間かもしれなかったが、オレには何時間も探しているように感じた。
 オレは静香を、武道館の裏手にある、ウォーキングコースに見つけだした。そこは、ツツジなどの低木でコースが作られている。カップルが恋を語りながら歩く定番のコースとして知られていた。
「静香!」
 オレの声で静香がこちらに振り返った。
 紺のコートにジーンズ。紅のマフラー。
 オレは一瞬違和感を感じた。オレを前に赤くなっている……というのは変わっていない。左手はあちこちに切り傷らしいものがあり、所々に貼ってある絆創膏や指に巻いてある包帯が痛々しい。やはり手紙の赤い文字は……。
 しかし、違う。オレがその違和感が何か把握する前に、
静香が声を発した
「大竹さん!」
 そう叫ぶ静香は涙目になっていた。
「何があったんだ静香?」
 オレは平静を装い、静香の両肩に手をのせ、落ち着いた優しい声で問い掛けた。
「う、ううっ……」
 静香はそのままオレに抱きついてきて、顔をオレに押しつけたまま泣きじゃくっている。
 オレはそれ以上は問い掛けず、静香の頭を撫でていた。
 しばし泣きじゃくっていた静香だが、そのうち自分から離れて泣き腫らした赤い目でオレと目を合わせてこう言った。「好きでした」と。
 そして、こう続けた「今でも好きです」と。
 オレは目を逸らせなかった。静香が、あの静香が真摯に告白しているのだ。同時にオレはいたたまれない気持ちになった。
 そんなオレの心中を知ってか、静香はさらにこう続けた。「知っていました」と。「部長が以前から大竹さんのこと好きだったこと」。オレは静香に対して何も言えなかった。
「積極的に好きな人に接近できる部長が……羨ましかったんです」
 静香は少し俯いた。唇を強く強く噛み締めている。なにか光るものがその目からこぼれ落ちた。
「偶然でした。あの日、部長と大竹さんが……」
静香が言わんとしたことは、すぐにわかった。やはり、オレと部長が抱き合っていたのを見たのだ。
「静香」
 オレは、コートのポケットからオルゴールを取り出そうとした。今、静香に渡さなくてはいけない。このタイミングで渡さなくては……オレはそう考えた。
「許せなかった」
「え?」
 静香の声はか細く、オレにはよく聞こえなかった。だが気を取り直し、オレはその言葉で中断された行動に再び移ろうとした。
「大竹さん……ちょっと来てください」
 しかし、オレが行動に移る前に、静香はオレに背を向け歩きだした。オレはなおも声をかけようと思ったのだが、静香のその背に、たった一言かけることもできなかった。何故かはわからないが、静香のいつもと違った雰囲気に困惑していたのかもしれない。
 オレは黙って静香の後を着いていった。


 オレは静香の後ろ姿を見ながら思考回路をフル稼働させた。
 静香に会った時の違和感が何だったのか。
 雰囲気も違う。一体何故だ? わからない。
「大竹さん」
 静香がオレを呼ぶ声で、オレは現実に連れ戻された。
 静香はオレの目を見据えてこう言った。
「あそこで話がしたいんです」
 静香が指差したのは、ウォーキングコースを抜けた先にある緑化区画。木が整然と通りに沿って並んでおり、その木に沿って設置してあるベンチで話に興じている人が多い。
 それは普段の話であって、今日は全く人気がないが。 
「わかった」
 そう言って歩きだすオレの後ろを、静香が着いてくる。
「お、あそこがいいか」
 そのベンチは、降り積もる中でほとんど雪が覆っていなかった。誰かが座っていたのだろう。
 しかし、オレはそこへ近付いて何か変わっていることに気が付いた。
 ベンチのすぐ後は低木が植え付けられているのだが、そこの後の低木はこれまた雪が被さっていない。
 正確に言うと、不自然に飛び散った……とでもいうべきか。
 オレがそのベンチの目の前に立って、それが何なのかがわかった。
 低木の後側に、赤く点々と飛び散るもの……。一瞬我が目を疑った。
 覗きこんだオレは、思わず息を呑んだ。
 長身で長い黒髪の女性が仰向けに倒れていた。目は驚きのあまりか、大きく見開いている。赤いシミがそこを中心に広がっていた。
「ぶ、部長!」
 オレは思わず後退りした。
 紅……白……。
 そうか、違和感は、オレが静香を見かけたときの違和感は……。
 紺のコートにジーンズ、紅のマフラー……足りないのは……。
「静香」
 オレは後を振り返った。
 鈍い音。鋭い何かが腹部をえぐる。
「し、静……」
 再び鈍い音。オレは膝を着いた。
 三度鈍い音。純白の雪の上に、赤いシミが浮かぶ。いや、静香風に言うと緋色か。


 静香は、大竹を膝枕し、その顔をいとおしそうに眺めていた。その表情は子に優しく微笑みかける母親のようでもあった。
 静香は、自分のコートを大竹の上にかけた。「こんな雪の中で寝てたら風邪引きますよ」。そう優しく声をかけながら。
 コートの下から現われたのは、純白のセーター。その一部には赤が点々と混じってはいたが。
 静香は、降り積もる雪を眺めながら大竹にこう言った。
「雪ってきれいですよね」
 静香はそのまま、自分や、大竹の周りの鮮やかな赤にも目を向けた。
「ふふっ。やっぱり白と紅は両方なくちゃダメですね」
 静香は満足そうに呟いた。静香は、赤の包装紙と白のリボンで包まれたそれを大事に胸のところで抱えた
「これからは、ずっとずっと一緒です。もう、離れませんからね」
 静香は優しい笑顔のまま、決意をこめた声でそう言った。
 静香は自分への贈り物を脇に置き、大竹の髪を優しく撫でながらこう続けた。
「大竹さん。緋色って純白の雪に合いますね。聞いてます大竹さん?」

【ホワイトデー】 - 全章まとめ読み -
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