【おかえりなさい】 - 第6話 -
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おかえりなさい
                                                      陽ノ下光一

 第6話


 黒崎美月と再会した最初のお盆休み。北村は彼にとっての実家である「おひさま園」へと足を運んでいた。
「しゅん兄ちゃん、セミ捕まえた〜」
「オレなんてクワガタ捕まえたんだぞ〜」
 降り注ぐ日差しの暑さに辟易する都会のサラリーマンとは異なり、子供たちは暑さの中での収穫を北村へ誇らしげに見せていた。
 彼の部屋からは、園まで距離にして電車で2時間。普段の彼が休日に目にするのは、四方の白い無機質な壁、カップ麺を食べるためだけに使われているガスコンロ、テレビ代わりにしているノートPC位のものだ。
 しかし、園とその周囲に広がる光景と温かみは、無機質なそれとは真逆のものだった。
「しゅんちゃ〜ん、こっちこっち」
「はいはい。今行くよ」
 暑い中、肌を黒くしながら走り回る子供たち。「おひさま園」には敷地内に2舎の受け入れ施設があり、最大24名の子供たちの受け入れが許可されている。いわゆる小舎制の児童養護施設だ。
 3年前後で園を後にする子供もいれば、北村のように小学校から高校卒業までを過ごした者もいる。
 この年は中学生4人、高校生3人。幼稚園児から小学生までの子供が過半数を占めるのが常だ。
「みんな、そろそろお昼にしよう」
 施設内から人柄そのものを写したような、優しく穏やかな面持ちの坂本が出てきた。先ほどまで走り回っていた子供たちがその周りに群がる。
「せんせー、今日のお昼なにー?」
「冷やしちゅうかが食べたーい」
 それら子供たちの頭を撫でながら、ゆっくりと首を縦に振る坂本。この園に入り40年にもなる、この神父でもある児童指導員は、誰からも慕われる存在だ。
「俊一君もご飯にしよう。喉も渇いただろう」
 北村と坂本に血縁上での関係は無いが、やはり北村にとっての坂本は父親でもあり、尊敬できる大人でもある。
 食堂に足を運ぶと、自身がシスターでもある保育士の河原が、配膳を行っていた。園内での年長者でもある中高生達がそれを手伝っている。
 外で走り回っていた子供たちが保育士達と手を洗って席に着くと、お祈りが始まってご飯となる。幾人かの子供が要望していたように、色彩豊かな冷やし中華と麦茶が各人の前に置かれていた。
 ご飯が終わると、小さい子供たちは首をこくりこくりと降り始める。こうして、みんなの上にタオルケットが置かれていき、寝息が聞こえ始める。寝返りを打っている男の子は、まだ夢の中でセミを追いかけているようですらある。
「俊一君、忙しい中の休みなのに、いつもいつもありがとう」
「いえ、こちらこそ楽しい時間を貰っています」
 事務室で北村をいたわってくれる坂本。坂本が北村に対して「いつもすまないね」と言わない辺りが、彼にとっては嬉しい事でもある。
「美月君がゼリーを贈ってきてくれたんだ。おやつの時間にみんなで食べよう」
「黒崎がですか?」
「ああ。お盆に来れないから、子供たちと食べてほしいってね」
 微笑む坂本の表情は喜びそのものに溢れているようだが、同時に顔には年数に応じたしわが随分と増えていた。
 児童養護施設である「おひさま園」には様々な子供たちがやってくる。その苦労は並大抵のものではないはずだ。
 北村は特に素行の点で問題のある少年時代ではなかったが、早くに両親を無くし、親戚すら所在の確認が出来ない経緯で入園した。
 黒崎は親の暴力と親戚からの冷遇によって入園し、その素行には相当な問題があった。
 色々抱えている子供たちを相手に、40年もの間、園の責任者を務めてきた坂本は、そのような苦労をおくびにでも出す人ではなかった。それだけに、大人になった北村には常に湛えられた微笑の裏側にあるものも知っている。
「美月君は本当に良い子だね」
「園にいた頃は、オレとしょっちゅうぶつかってましたけどね」
 2人の間に笑い声が自然と出る。まだたかだかこの10年以内の事だ。
「先生もしょっちゅう、黒崎の件で学校に呼び出されていましたよね」
「そんな事もあったね」
 坂本の微笑みは当時を振り返っても、今と変わるところがない。当時の黒崎に対しても、彼はその大きな包容力で受け止め続けていた。
「彼女は今も昔も、変わらず良い子だよ」
「今でも煙草は止めれていないようでした」
 言って北村は、10年前と1週間前を思い出して苦笑していた。
「中高生で煙草はいけない事だったね」
 にこやかに言いながら、首肯する坂本。
「でも、彼女の心根は優しいものだったよ。ずっとね」
 柔和な顔立ちで、いつも眠たそうにすら見える目鼻立ちの坂本だが、北村からは、その視線は相手の心を常に見ているように思えた。
「でもね、俊一君。彼女の素直な優しさを戻してくれたのは、君だよ」
「えっ、オレですか? いや、アイツとは言い争いばかりでしたよ」
 そう返す北村に、坂本はゆっくりと首を横に振って、意志力のある視線を送ってくる。
「君はもう大人になったから、言っても大丈夫だろう」
 坂本は前置きして続けた。
「美月君は自分の親、親戚を表面では憎んでいた。でも、違う。彼女は本当に心の底から家族を欲しがっていたんだ」
 坂本はそこまで言って、いったん目を閉じた。当時を振り返っているのだろうか。そのように北村には思えた。
「彼女は本当は親も親戚も憎んでなんていなかった。彼女が受けた仕打ちは相当のものだった。大人……いや、人そのものを信じられなくなるのが当然な位にね」
 北村は入園した当時、今から10年前の黒崎の姿を思い出す。壁を背に、夕日を浴びて一人たたずんでいる短髪の女の子。声をかければ睨みつけ、喫煙を注意すれば殴りかかってきそうな勢いで反発する女の子。
「彼女は本気で自分を心配して、心の奥底に触れてくれる人が欲しかったんだ。君が真っ正直にぶつかってくれたから、今の彼女がいるんだ」
「オレなんて大した事してないです。オレが言ったのはせいぜい……」
「当たり前だ、家族なんだからな……だったね」
 北村は思わず後頭部をかいてしまう。
「私なんて大した事はしていないんだよ」
「そんな事ありません。先生が……」
 続けようとした北村の眼前に、坂本がやんわりと手を差し出した。北村が口を閉ざすのを見ると、坂本は立ち上がって手近なコップに麦茶を注いで持ってきた。
「今日は暑いからね。ちゃんと水分をとらないと」
 言って出されたコップの中身に口をつける北村。北村が、冷たい飲み物を口にして息を吐き出すと、坂本は続けた。
「人間、心に嘘をついてはいけないよ。でもね、それ以上に謙遜してもいけない。私にとっても美月君にとっても、君は大事な人だ。もちろん、ここにいる子供たちにとってもね」
 坂本も使い古した湯飲み茶碗に口をつける。
「先生……オレは……」
「美月君は何も変わっていないよ。心に嘘をつかなくなっただけで、何も変わっていないんだよ」
 そう言って再び麦茶を口にする坂本を見て、北村は思った。広瀬夫妻や自分と再会した黒崎が、未だ話してくれていない何かを、この目の前の穏やかな老人は知っているのではないかと。でも同時に、それを語ってはくれないだろうとも。
「黒崎のヤツ……今頃何をしてるんでしょうね」
 北村は坂本に尋ねるという風でもなく、なんとなくそう口にしていた。坂本は黙って、再度茶碗に口をつける。
 つい数日前。お盆に帰省するかの話になった時、少し考えて「今回はパス」と言った黒崎。北村からその時の彼女の表情は、西日の強さで見えなかった。彼女は何を考えていたのだろう。
 そして今、何を考えて何をしているのだろうか。ふとそのように北村は思った。
「天におわす主が、全て見ておられるさ」
 坂本は静かにそう一言。
 黒崎は何を考え、何をしているのか。神様がいればそれは知っているのかもしれないが、坂本も知っているのではないだろうか。あるいは坂本自身が、黒崎はいずれ北村に話すだろう事も見越しているのではないだろうか。北村はなんとなくそう思っていた。
 色々考えている事があるんだと、北村に告げた黒崎。観覧車の中で「兄さんには……絶対話すから。絶対」と言った時の黒崎の表情はずっと先を見ていて、なおかつ真剣な眼差しだった。
「家族……か、私は本当に幸せ者だな」
 少しおりた沈黙の後、ポツリと坂本が漏らした。北村の視線の先で、坂本は書類にペンを走らせながら、述懐しているようだった。
「40年もの間、多くの子供たちに囲まれて……孝太君と奈々子君は子供まで見せに来てくれる」
 北村は黙って聞いていたが、同時に今では知っている。坂本は独身で、当然ながら子供も孫もいない。両親はとうの昔に鬼籍に入っているし、身寄りという意味での家族はこの世界のどこにもいない。
「孝太君と奈々子君が結婚する時には、2人の父親として招いてくれた。いや、彼らだけではなく、今まで多くの子供たちがそうしてくれた」
 坂本はペンを走らせる手を止めて、書類の隅に判を押す。書類をファイルに閉じながらも、さらに言葉が続けられた。
「世界中を見ても、私くらいに幸せな人はそういないだろう。手に余るくらいの幸せで、もうこの世界には未練もないぐらいだ」
 坂本の最後の言葉には、北村も動揺が生じるのを抑えられなかった。
「先生。縁起でも無い事を」
 坂本はいつも通り優しくゆっくりと首を上下に動かす。
「はは、すまない。まだまだ主の下へは行かないさ。せめてそうだね……俊一君や美月君が結婚する姿を見る時間くらいは、主に許しを乞いたいくらいだからね」
 穏やかに語る坂本を前にすると、北村も自然と心が穏やかになるように感じる。神様がいるとするならば、それは眼前の神父のような人なのではないかと、そうすら彼には思える。
「君たち2人は本当に良い子達だ。必ず最良の伴侶に主が巡り合わせてくれるさ」
 坂本が立ち上がり、北村の肩を優しく叩く。彼は事務室の他の保育士達に向き直り、「さあ、そろそろおやつの時間にしましょう」と声をかけた。

【第7話へ続く】


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