【あずまんが大王SS 「フレンド」】
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バタン!

 

ドアの閉じる音。

「わからず屋!」

ドアに向かって声を上げる女。遠ざかる靴音。

 テーブルに残された鍵が全てを語っていた。

 玄関口に一人立ち尽くす女の足元にいくつかのシミができる。嗚咽が漏れ出すが、相対するドアは無機質な鈍い光を映していた。

 

 トルルル……トルルル……ガチャ

 

『ただいま留守にしております……』

「にゃもー。なんだ留守かよー。帰ってきたら飲みに行こー」

 

 ガチャ……

 

 

 

「おはようございます」

「ああ、黒沢くん。おはよう」

 黒沢みなもが挨拶をして職員室へ入ると、古株の後藤が返してくる。黒沢が出勤する時間帯は早いためか、まだ室内のデスクはまばらである。

 いつものように、デスクにつくと書類の処理を始める。体育教師は一般に考えられるほど暇ではない。

 健康保健習慣・保健衛生に関する講演依頼や体育器具の処分購入、教職員の健康全般への研修などを保険医と相談の上で受け持つからだ。

 そして週初めは職員早朝会議がある。黒沢のデスクにも会議のレジュメが配布されている。

 会議の時間五分前には、ほとんどの教員が揃っていた。

「それでは職員会議を始めようと思います。まずは手元の資料で」

 学校長がマイクを持って話を始めようとしたところで、

「すいません! 遅れました」

 一人の女教員が駆け込んできた。学校長は咳払いをすると、

「谷崎先生。すぐに席についてください」

 谷崎の遅刻は特に咎められることもなく、会議が行われた。

 ただ、後藤だけは額を押さえていたが。

 

 

 

 会議後、谷崎と黒沢は一緒に廊下を歩いていた。二人とも、同じ学年の授業を受け持っていたからだ。

 谷崎は三年二組の英語。黒沢は隣の一組の保健体育だ。

「にゃもー」

「だから、学校でその呼び方しないでよ」

「いいじゃん。減るもんじゃないんだし」

「そういう問題じゃ」

「それよりさ、昨日にゃもって暇じゃなかったっけ?」

 黒沢の抗議を無視する形で谷崎が出した話題に、黒沢は視線を窓に映る光景に送って、

「研修会の準備があったのよ」

「あれって先週書類提出したんじゃねーの?」

 黒沢は視線を校舎の外に向けたまま、谷崎の指摘に声を詰まらせた。

「ま、いいや。それより今夜飲もう」

「え? 今夜?」

「そ」

「ちょっと急に……」

「じゃ、またねー」

「ゆかり……もう」

 谷崎は自分の意見だけ出すと、二組へと入っていった。

 黒沢は閉められたドアに向かってため息をつくと、隣の教室へと入っていった。

 

 

 

 黒沢と谷崎の付き合いは高校時代にさかのぼる。彼女らが現在勤務する高校は、以前は女子校であった。後藤などはそのときから勤務しているから、すでに十年以上は在籍していることになる。

 彼女らのような若手の教師が、レベルの高いこの高校に勤務できているのも、私立校であるためだ。

 もともと黒沢は生真面目な性格で、高校入学以前から水泳に打ち込んでいた。

 谷崎はといえば、自分勝手に周囲を振り回していたが、明るくウィットに富んでいて、自然と人が集まっているタイプの人間であった。

 性格はまったく正反対の二人だが、気がついたらいつも一緒にいた。

 大学こそ違かったが、黒沢は水泳選手を諦めて、教員免許を取得し、かつての母校へ戻ってきた。谷崎は、黒沢が教員免許を取得しようとしているのを聞いて、

「にゃもでも教師になれるんなら、私もなれるよなあ」

「ちょっと、その『でも』って何?」

「気にしない。気にしない。で、何の教師? って、体育大学なんだから、体育教師しかないか」

「そうね」

「得意分野っていうなら、じゃあ私は英語教師だ」

「はあ? ちょっと、ゆかり。教師ってそんな簡単に」

「大丈夫だって。だって、にゃもって体育以外だめじゃん」

「なんだとこのヤロウ」

「まーまー怒りなさるなって。だったら、私は英語教師になれるじゃんか」

 と、酒の席で言ったことを本当に実現してしまった。しかも、競争率の高い私立進学校に来ている。

 黒沢は、なんでも要領よくこなしてしまう友人を羨ましく思った。

 

 

 

 谷崎と黒沢は勤務を終えると、その足で飲み屋へと出向いた。比較的高校からも近く、同僚たちとばったり会ってしまうことも多々あるが、それは仕方ない。

 飲み屋に入ると、店内の半分近くはすでに埋まっていた。他の教員の姿はない。

 少なくとも、国語科の「変人」木村の姿はなかった。

 二人はテーブル席に着くと、まずはビールで乾杯。

 谷崎は一気に飲み干すと、すぐに二杯目を注文する。黒沢はつまみを口にしながらスローペース。

 谷崎は飲み始めると際限を知らない。自分の限界以上に飲んで、潰れてしまう。自分が酔っ払うわけにはいかないのだ。

「にゃもさあ〜」

「なに?」

 谷崎はすでに酔っ払い状態。元々酒に強くないためか、ジョッキを四杯も空けたころには、まぶたが落ちかかってきている。

「酒ってのはねえ……何だよ?」

「酒でしょ」

 ガタン

 谷崎はジョッキをテーブルに勢いよく置くと、激しく首を横に振る。

「酒はなあ、クラスメートなんだよ〜。わかるか〜?」

「わかんないわよ」

「もう、体育教師はバカだなあ」

「バカっていうな!」

 黒沢がそういうや否や、谷崎は突っ伏してしまった。

「おい、寝るなよ」

 黒沢が肩を揺すると、むくりと起き上がり、

「だ〜か〜ら〜。なあ、酒は」

「クラスメイトでしょ。わかったから寝るなって」

 谷崎はまたも首を振ると、

「わかってないな〜にゃも〜。酒は会話の友なのよ」

「はいはい」

 黒沢は適当に相槌を打ちつつ、そろそろ帰り時だと考え始めていた。

「あんたさあ、昨日なにあったかしんねーけど、気にするこたねえじゃんか」

「え?」

「少なくとも私とあんたの間は変わんねえから……」

「ちょっと、ゆかり。それってどういう……」

 黒沢が問いただすより早く、谷崎は寝息を立てていた。

 

 

 

 谷崎は黒沢に肩を貸してもらう形で店を出た。

 時折、訳のわからないことを叫んでは周囲の人間が振り返る。黒沢は恥ずかしさで、ほろ酔い気分さえ飛んでいた。

「ねえ、あんたさあ」

「ん〜?」

「昨日の事さ」

「ああ、にゃもは態度に出すぎなんだよ」

「そう」

 黒沢はあまり友人に自分の表情を見られたくはなかったが、肩を貸している以上それは無理であった。

「なに情けない顔してんだよ」

「だってさ」

「いいじゃん、にゃもなんていくらでも寄ってくるんだからよ。私なんて誰も来ないぜ〜」

「いくらでもって」

「そうじゃん、だって高校のときなんて」

「わーわー何も言うな!」

 黒沢は空いている左手で谷崎の口を塞ぎにかかる。それ自体が周囲から好奇の視線を集めているのだが。

 黒沢は誤魔化し笑いをしながら、谷崎を連れて足早にその場を去っていった。

「ぶはぁ……にゃも。私を殺す気かよ!」

「あ、ああ。ごめん」

 しばらく歩いて、黒沢が手を離すと、友人からは非難の声。

「あんたみたいの捕まえとかねえ奴の方がおかしいんだよ」

「そ、そう?」

 谷崎は神妙そうに頷くと、

「バカ捕まえといたほうが、後々楽だってことに気づいてねえんだもん」

「なんですって!」

「なんふぁよ〜やめろよ〜」

 黒沢はぎゅ〜っと谷崎の頬を引っ張っているが、表情はその内に笑い始めていた。

 

 

 

一年後

 

黒沢と谷崎は、生徒たちの泊まり会に付き合っていた。というより、谷崎が「自分のクラスの生徒だけ楽しそうにしてるなんて許せん」と言って、押しかける形になっていた。

 泊まり先は、生徒の親が所有している別荘である。夜になって生徒たちが、怪談やろうとかワイ談やでーとか騒ぎ出す。

「ワイ談?」

「イエース! ここは大人の二人にためになる話を聞こう!」

 そう言って、生徒たちがわらわらと黒沢・谷崎の方へやってくる。

 谷崎は考えるそぶりを見せて、

「結構一人でも生きて行けるものよ」

「ためにならねえー」

 生徒の言うように、全く話そうとしない。むしろあっさり流してしまう。

「黒沢先生はもてそう」

 生徒の一人がそう言ってくる。そう言われれば黒沢も悪い気はしない。思わず笑みが出てしまう。

「私も一人だから……そーゆー話はないよ」

 黒沢も谷崎同様にあっさり流そうとするが、谷崎はこういうときに容赦ない。

「去年の夏は一人じゃなかったのにねぇ」

 黒沢は沈黙。ぷるぷると震えている。

生徒の視線が黒沢に集まる。

 むしろ、視線というか、同情が集まってきている。

ゆかりー覚えてらっしゃい

黒沢はそう思いながら、そんな友人を心底怒っていない自分がいることにも気づいていた。


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